あらはばき アラハバキ 荒脛巾 とは・・・・ 大元の神とは・・・ あらはばきの原点を探る
 
 

 

    アラハバキと古代史の原点とは
       
「記紀解体:アラハバキ神と古代史の現像」近江雅和著(彩流社)から見たアラハバキ

宮城県多賀城市にある荒脛巾神社を見たのが興味を持った原点になります。   この記事をブログに書いたのは、
2008年になりますが、その後岩出山の荒脛巾神社を訪れ、アラハバキを調べるには、もっと古代を学ばねばと思った.
その時に、に出会いました。
その後、関係書籍の中から抜粋しながら直接現地を訪れて古代の人々への想いを膨らませてきた。 

大宝律令(701)が発布され律令制度が確立したが、朝廷が日本全国を統治していたわけではない。
朝廷は中央政権に従わない東北地方の勢力を蝦夷(エミシ)と呼んだ。   「毛人」と表記したこともあった。
中央政権に従わないものを「まつろわぬ民」と呼ぶ。
「まつろわぬ民」であった、蝦夷(えみし、えびす、えぞ)が朝廷により追いやられながらも守り続けたと伝承とされています。
※「まつろわぬ民」=大和朝廷のいいなりにならない民

アラハバキを祀る神社は東北地方に多く見られますが、関東にも多く全国的にも見られます。
しかし「アラハバキ」としてでは無く、門客神(もんきゃくじん)として祀られている場合もあります。

門客神とは、「客人神(まろうどがみ)」のことで、「客人神」は地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話に登場する神々と立場が逆転し、客神となったと考えられています。
つまり、ご主人様が隅に追いやられ、乗っ取られてしまったわけです。
川越では、「子の権現社」として普及していました。

アラハバキは旅をして回る神という性格があります。
もっとも直接的には、出雲国島根郡爾佐神社境外社「荒神社」はマロトさんと呼ばれていた!
という証言があるようです。
マロトとは、まろうど=客人のことです。

簡単に言えば、元々古来縄文またはそれ以前からある、自然崇拝・精霊崇拝から始まり時代とともに周囲の影響を受けながら現在のように変化してきたのだと思います。
     
実は「アラハバキ」は、「瀬織津姫」と同神だとも云われています。 

アイヌを語ると、関連して蝦夷が出てきますが、アイヌ=蝦夷では無いと考えるべきです。
アイヌ語については、岩手県に多く見られますが、日本全国にあると言えます。ここでは割愛します。
また最近では「アイノ」と発音した方が近いとも言われています。
アイヌについては「北方世界に生きた人々」 「アイヌ語地名解/岩手とアイヌと平泉文化」 「あなたの先祖は何系」 
などの記事も書いております。
大和民族(通常)の場合は、縄文から弥生に移りかわりますが、アイヌ民族の文化は縄文文化から引き続いた続縄文文化擦文時代から形成されてきたものです。
現日本人の一つであることは間違いないでしょう。
蝦夷とは何か???

  「アラハバキ」で一番厄介なのは「東日流外三郡誌」です。これは学者の中で偽書と認められています。
信じたい人は、このHPに「東日流外三郡誌の正体」としてUPしておりますので熟読してください。


    
青森県五所川原市には荒吐神を祭る「洗磯崎神社」がある。  それは安東氏の祖神とされるものだ。
安東氏は中世に活躍した東北地方((日本海側、陸奥国津軽から出羽国秋田の一帯を支配していた。
蝦夷の流れをひく最後の勢力だった。

埼玉県、にある氷川神社は武蔵一宮として平安時代一国の中で最も重んじられた神社だが、元は荒脛巾神を祭っていたと考えられる。
そこには、江戸時代末の天保年間まで「荒波々幾社」という摂社があった。
現在の氷川神社は素戔鳴尊・奇稲田姫を祭る。
元の神を摂社に落として日本神話の中の神を祭れという朝廷の指導でそうなったのだ。
最初から、素戔鳴尊等を奉祀するものであったのならば後から日本神話に見えない荒脛巾神を摂社にする理由はない。
武蔵国に氷川神社が222社あることを考えると古代の武蔵国では荒脛巾神が盛んに信仰されたことが伺える。
氷川神社については、下記にリンクしてあります。

東京都あきる野市にある二宮神社の末社に「荒波々伎神社」
神奈川県厚木市の小野神社末社「阿羅波婆枳神社」このように調べていくと荒脛巾神社の分布は出雲にまで及ぶ。

脛とはすねをさす。つまり「荒脛巾」は足早に移動する有様を表す語だ。
荒脛巾とは、急速に変化する自然をつかさどる神だ。
古代の文献に見える「長髄彦:ナガスネヒコ」・「七拳脛:ナナツカハギ」・「八掬脛:ヤツカハギ」といった人名も荒脛巾神の能力を負う者を表す。
「長髄彦」は「日本書紀」や安東氏の系図にも登場する。
「熱田太神宮縁起」は七拳脛を「駿速をもって駈ける」人という。
  上記の「脛」については若干異論がある。アラハバキはすべてこの字を使っているわけではない。漢字が使用される以前の言葉ですから当て字に近いものがあります。漢字から解釈するとこじつけ的な考えになりがちです。

長野県諏訪市の手長神社、足長神社があり、そこの神は、諏訪明神の家来の手長、足長の巨人だと伝えられるが、
荒脛巾神と同系統の神であったと思われる。
手長足長の神を祭る神社は、福島県新地「手長明神」など幾例か見られる。
「釈日本紀」が引く「越後国風土記」に次の記事がある。
「美麻紀の天皇(崇神)の御世、越の国に人あり、八掬脛の長さは八掬、力多く太(はなは)だ強し。 是は土雲の後なり」

「日本書紀」等は、ヤマト政権に反抗した異文化の持ち主を土蜘蛛(土雲)、国栖(クズ)等と表記している。
武伝説の中に土蜘蛛の姿を伝える文章がある。
「其の為人(ひととなり)身短くして手足長し、侏儒(ひきひと)〈小人〉相類(あいに)たり。
これは事実ではあるまい。 ヤマト政権が手長、足長の荒脛巾のような神を祭る者を蔑んでこのように記したのであろう。

あらはばきの表記は、かなり多いようです。
荒覇吐、荒吐、荒羽祗、阿良波々岐、荒脛巾、、荒掃除、新波々木、阿羅波婆枳、荒羽々気、麁脛バキ、阿羅波比・・・等々

点在してる分布は、「客人」という表記を含めると
陸奥、出羽、常陸、武蔵(多数)、房総(2)、相模(2)、甲斐(2)、越後(2)、参河(1)、伊豆(1)、伊勢(3)、丹波(1)、摂津(1)、伯耆(1)、出雲(多数)、隠岐(9)、安芸(6)、備後(1)、周防(6)、長門(1)、伊予(多数)、土佐(2)、肥前(1)、壱岐(1)のようです。

※古代先住民の祖神、守護神として祀ったもので、ある文献によると、東北、関東の地に600余社を数えたといいます。
   
                   伊勢神宮に隠された秘密

   

庶民が「お伊勢参り」をするようになったのは鎌倉時代以後で江戸時代になるといっそう盛んになりますが、この辺は時代劇でも良く見かけるのではないでしょうか。
この頃には、神棚も祀られ家庭には神符も配られたようです。

伊勢の地ですが、元々イセツ彦がいたところとされていますが、「記紀」には神武の大和入りの際に東方に
放逐(ほうちく)されたという説話になっています。
※放逐=追いやられた

その後、古名である「磯」が示す磯部一族の海人系集団が引き続いて蟠踞していました。
 ※蟠踞(ばんきょ)=広大な土地を領し勢力を振う。

この一族は、一つの地方政治権力となるまでに次第に勢力を増してきており度会氏(わたらい)と磯部一族を服属させるための伊勢遷宮だったようです。

垂仁天皇二十六年、皇女倭姫命が各地を巡幸ののち伊勢の五十鈴川上にアマテラスを祀りました。
しかし、現在の宇治の地ではありません。

宇治に遷るのはもっとくだって文武天皇二年(698)…この記事は「続日本紀」にでています。

 ※この時点では「多気大神宮」=滝原宮のこと

度会一族の滝原宮は完全に王権に祀りとられて、皇祖神アマテラスが宇治に遷されたのです。
宇治の地には、磯部氏が奉祭する地主神、荒祭宮(あらまつりのみや)があり容易に入れなかったのです。

          荒 祭 宮 (あらまつりのみや)

     

現在、皇大神宮の内宮のすぐ後ろに「荒祭宮」という別宮扱いの社があります。
しかし、この存在を知らないで参拝する方の方が多いのかも知れません。
公式ホームページにも説明はありますが、一般の方は内宮と外宮にしか興味が無いようで見逃しがちでしょう。

古来アマテラスの荒魂だということになっていますが、内宮も別宮十社の中で、内宮神域にあるのは、荒祭宮だけ なのです。
しかも、他の別宮とは異なり、神嘗(かんなめ)月次(つきなめ)のいわゆる神宮の三節祭には、幣帛(へいはく)が内宮とこの荒祭宮だけに奉納され1月4日と旧九月の神衣祭(かむみそのまつり)では内宮と荒祭宮だけに神服織殿(かむはたおりどの)で織った神衣を供えるなど内宮と同格の扱いを受けて他の別宮とは断然格式が異なっているのです。
 ※幣帛=神に奉献する物の総称 
抜粋: 荒祭宮は、内宮に所属する10別宮のうち第一に位しています。
殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、第一別宮として正宮につぐものです。
『延喜式』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見えます。 祈年祭・神嘗祭・新嘗祭の奉幣の儀も、正宮にひきつづき、同日に勅使、大宮司、少宮司以下神職がただちに参向して幣帛がたてまつられます。
又、神饌の種類や数量も正宮とほとんど同一のものが供せられます。 大祭中の大祭、式年遷宮も、古来より正宮に準じて執り行われています。
古来以来の大祭、神御衣祭を受けられるのは、内宮と荒 祭宮のみでありますことからも、この宮の特別な神位がうかがわれます。

荒祭宮の位置は、現在の内宮が式年遷宮をする東西の殿地の中でも最初の殿地だったとされる西殿地の真北にあたり、
 あたかも内宮の古い本殿のような形をとっている。

鎌倉時代の「神宮雑例集」に引用されている「大同本紀」の文には「皇大神が鎮座のとき、度会氏の祖先の大幡主が最初に
 荒祭宮の地に大宮を造った」という伝承がある  。

荒祭宮の神域内から白玉などの祭祀遺物が出土したこと。

これらのことから荒祭宮の祭神こそ古い内宮の地主神であったと述べている。
また、「荒祭宮の神に対する仕事が特に荒祭物忌と言って特別な専属の巫女が置かれている。
これは、古い土地の豪族であった磯部氏から出した」と述べている。

(「古代王権の祭祀と神話」橘書房&「伊勢の大神の宮」堀書房 桜井勝之進著 &「日本の神々」中公新書松前健氏著)

地主神とは

「神道集」の説話があるのですが、・・・・割愛

天武天皇の御代に伊勢の国、度会郡から荒人神として出現し上野の国群馬郡白井の地に神となって現れたのが児持大明神である・・・・・

            ~割愛~

伊勢神宮の荒垣の内におられのがそれである。
群馬県吾妻郡の後藤菊次郎著「子持山縁起」では、「荒人神」が「アラハバキ姫」となっておりまた、終りの部分は「伊勢神宮のあらがきの内におはします。すなわちあらはばき是なり」とアラハバキ神の名を明記しています。

つまり、荒祭宮が伊勢の地主神=アラハバキ神だという説話なのです。 他に「瀬織津姫」とも言われています。

二見にも一族の二見氏がおり興玉神社がある。その沖合(鳥羽市小浜町)に「飛島」という小島があり古くは
「阿波良岐島・淡良岐島」と呼ばれ、アラハバキからきたものに違いないと思われます。

渡会氏の「神道五部書」でも内宮の殿地の地主神と興玉神だと記している。
つまり、アラハバキ神だったということです。

外宮の主祭神は豊受大神である
アメノミナカヌシ(天御中主)、クニノコトタチ(国常立)、ミケツ神の諸神はいずれもトヨウケノ大神の別名としている。

大自在天は梵語では、マケイシュヴァラ:Mahesvara(摩醯首婆羅)といい、世界の主宰神で特にシヴァ神のことを指しており、密教においては、大日如来の応現ともしている。
※応現=応化(おうげ、おうけとも)仏、菩薩が衆生を救うためにいろいろに姿をかえて出現すること。
  
つまり、アメノミナカムシはシヴァ神だというのです。
大元とは、オオモト、すなわち始源の意味であり、外宮の神はまず初めに生まれた神である。
したがって万神に先がけて生まれた神こそ最高神である。

しかし、これは表向きであり「大元尊神」実体は「アラハバキ神」のことにほかならなず、ホアカリ系が渡来以前から最高の神としていたものを巧みにカムフラージュしたもであった。

私が今気になっているのは、宮島には「大元神社」があり客神社が三社位ありましたね。厳島神社とアラハバキの関係が気になります。

伊勢神宮には、もう一つ「太一」という信仰がある。
太一を表に出した伊雑宮(いぞうのみや)の田植え祭は有名だが、その解釈はまちまちのようです

  
伊雑宮は原出雲系のイサワトミを祀る神社であった。
        
           
 
     

     
内宮の別宮とされながらも、由来を抹殺された磯部氏の祀る伊雑宮
伊雑宮は「延喜式」の「神名帳」に「磯神社」とある。
「倭姫世紀」では、イサワトミがヤマト姫(倭姫)を迎えて志摩国の磯部の地に穀物の神として祀った由来を述べている。
しかし、割愛しますが微妙の表現であいまいに誤魔化されてしまっている。
太一というのは、中国の陰陽五行思想から名付けられ・・・・・
太一は最高の神であり、その居所は北極とされ、北極星の神霊化であり宇宙の大元であるとしている。
この中国思想は道教に反映して道教は古代インドの密教と習合して「大元帥明王」になった。
太一という隠れ蓑を着た最高神であるアラハバキ神のことであった。

アラハバキ神すなわち大元神を
取り入れたのは、渡会氏、磯部氏の一族だけではなかった。
「記紀」編纂によると欺瞞(ギマン)の歴史の押しつけという暴挙に対して古来の伝承や系譜を持つ有力氏族が反感を抱かないはずがない。
※欺瞞=真相が見えないようにだます。

 
 

    クナトの大神

「日本書紀」では「岐神」、「古事記」では「衝立船渡神」出雲井神社には「久那斗大神」として祀られている。

「我々の大先祖は「クナト(岐神」)の大首長だがもう一つの女首長に「アラハバキ(荒吐神)」があり、体制側によってこれが抹殺されようとした時、クナト「地蔵」「アラハバキ」「弁才天」へと変身した。

アイヌ語で「クナト」は男根、「アラハバキ」は女陰の意味で本来、一対のものだと言われる。
これは、倶知安のアイヌの酋長菊池俊一夫妻の話。

クナトノ大神は、幸の神、寒の神、道祖神、道陸神(どうろくじん)とも呼ばれている。

久那斗神社で検索すると一件だけ岩手県北上市和賀町の山に存在する。
近い内に行きたいと思っています。 やはり、道に関係するようです。

上記に記載した通り、一対のものである。とするのも要因の一つですが、時代的にも律令国家が出来る以前の話であることや、アラハバキは鉄の神様と言われることもある。
出雲大社の御神体は釜であり、鉄に関わる。

または出雲神族が氷の山を越え現在の地に根付くまで、塩釜で塩作りを教えていること、多賀城の荒脛巾神社は鹽竈神社(塩釜神社)の末社とされています。
しかし、鹽竃神社と荒脛巾神社のどちらが古いのか判断できない。 しおがまさまの不思議で記事にしている。鹽竈

アラハバキは旅をして回る神という性格があります。 もっとも直接的には、出雲国島根郡爾佐神社境外社「荒神社」はマロトさんと呼ばれていた、という証言があります。

マロトとは門客人のことで、門客神とは、「客人神(まろうどがみ)」のことで、「客人神」は地主神がその土地を奪われて、後からやって来た
日本神話に登場する神々と立場を逆転させられて、客神となったと考えられているようです。


「あらはばき」の記事ではアイヌ語に照らし合わせたら、arpa-pake がある、これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)などの意味になるらしい。  と書いていますが、上記の女陰との関係はまだ不明です。
言葉を区切った場合と続けた場合ではまた違うと思いますが発音などを聞いてみたいものです。

    アラハバキとは何か

津軽の民が古代から信仰していた神がアラハバキがある。
御神体は黒光りする鉄の塊という謎めいた神で、未だに正体は解明されていない。
亀ヶ岡遺跡や大湯ストーンサークルからは、変わった形の壺や笛に用いたとされる菱形の土器がよく出土する。
それらはトルコの辺りにかつて存在したヒッタイトの土器と非常に似ている。

ヒッタイトは世界で初めて製鉄を行った古代帝国である。
ヒッタイトのどこで土器が作られていたかを追い求めると、製鉄施設を含むアラジャ・ホユックの遺跡にたどり着く。
ヒッタイトでは鉄製品をハバルキと呼んでいた。
アラジャ・ホユックのハバルキが転じてアラハバキになったのではないか?

土器の類似性から相当古い時代に竜を崇める民が日本に渡って津軽辺りに住みつき、縄文時代を作り上げた可能性があると考えている。

幼い頃より馴染みの深い神ではあるが、なぜ拝まなければならないのか、実はよく知らない。
 「蝦夷とて拝んでおるじゃろうに」
二風は面白そうに笑ったあと、「須佐之男命の名を存じておるか?」
真面目な顔で訊ねた。阿弖流為は首を傾けた。母礼も知らないらしかった。
「陸奥とはあまり縁のなき神。むしろ蝦夷にとっては敵に当たる。 出雲に暮らしていた蝦夷の祖先を滅ぼした神じゃ。
その須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。 草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバリキの剣と言う」
「ハバリキの剣」 阿弖流為と母礼は顔を見合わせた。
「鉄で作った刀のことじゃ。それまで朝廷の祖先らは鉄の刀を拵える技を持たなかった。出雲の民を滅ぼして、ようやく手に入れた」
「するとアラハバキとは?」
「鉄の山を支配する神じゃよ。この神の鎮座ましますところ、必ず鉄がある。アラハバキの神は鉄床を磐座となされる。
我ら物部はその磐座を目印にして鉄を掘りだし、刀や道具を代々生み出して参ったアラハバキの神こそ物部を繁栄に導く守り神」
「・・・・・・」
そればかりではない。アラハバキは少彦名神とも申して、出雲を支配していた大国主命のお手助けまでなされた。
それで蝦夷も大国主命とともにアラハバキを大事にしておる」
なるほど、と二人は頷いた。物部は鉄の在処を知らせてくれる神として、蝦夷の祖先の地である出雲の神として敬っていたのである。

                                   (「火怨 北の燿星アテルイ」高橋克彦著より)




      上記の文は「あらはばきを見る」のページにある記事からピックアップしました。
      ア・ラ・ハ・バ・キの語源について色々な説が出てきましたが、本の内容をそのまま引用しました。
      まだまだ、解らないことばかりですが、実在するアラハバキ神社を否定はできません。
      これからも追及していきたいと思います。

また、瀬織津姫についてまだ触れていません。 非常に近い存在なのですが、私の中ではまだ消化されていません。上記「クナトノ大神」の所で『クナト「地蔵」「アラハバキ」「弁才天」へと変身した。』 とあります。
弁財天=瀬織津姫=アラハバキ とも考えられます。 弁財天=龍神です。 
気になりますね。  もう少し情報を集めて記事にしたいと思います。


   



    アラハバキと謎の古代史

 次ページは「アラハバキ神社を見る」です。 アラハバキ神社と表記された神社をご覧ください。


    まだ、編集途中です。随時ページを増やして行きたいと思います。
   
           アラハバキTOP      「アラハバキ神社を見る」
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